「移設先、辺野古なら辞職」 稲嶺・名護新市長が強調
2010年2月7日2時16分
沖縄県名護市長に8日に就任する稲嶺進氏(64)は朝日新聞のインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設について「約束を守れないときは、自分が(職を)降りる」と述べ、移設反対の公約を市長の職をかけて貫く考えを強調した。(聞き手・松川敦志)
――市長就任で辺野古案は。
「なくなるでしょう」
――過去3回の市長選では移設容認派が当選してきました。今回、反対を訴えて当選できた理由をどう考えますか。
「基地と関連した振興策が10年も続き、かなりの予算が投入されたのに、暮らしはよくならなかった。多くの市民がそう実感していたからではないか。基地に頼った一時的な振興策ではなく、継続・持続する、自分たちでつくり上げる地域振興が大切だと訴えたのが賛同を得たのだろう」
――政府が今後、「やはり辺野古に」と言い出したら、どう対応しますか。
「私は辺野古に新しい基地は造らせないと約束した。信念を通して、貫いて、守り抜く。仮に国がそういうことを言ってきたら、市民の先頭に立って反対の意思を行動で示さなければならない」
――市長として反対を貫き通せるか、疑問視する声もあります。
「約束を守れないときは、自分が(市長の職を)降りるときだ。私は新しい基地を造らせないと約束して当選した。筋を通すことによって人は信頼してくれる」
――仮に政府が妥協点を期待しているとしたら。
「大きな間違いだ」
――現行計画よりも環境や騒音の負荷が小さい案、たとえば名護市辺野古にあるキャンプ・シュワブの陸上部への一部機能の移転などを提示されたらどうしますか。
「現在ある基地の機能強化につながるものは、いずれにしてもだめだ」
――立候補を表明した当初は、今ほど反対姿勢を強く打ち出しませんでしたが。
「これまで沖縄は政治的、歴史的背景の中で、虐げられながら生きてこなければならなかったことを、私たちは身をもって体験している。基地を新たに造ることについて、私の考えは初めからノーだ」
――これまで市幹部として、容認派の3代の市長に仕えてきましたが、そのような考えは表明してきたのでしょうか。
「(1999年に受け入れを表明した)岸本建男市長から事前に相談されたときは『沖縄にこれだけ基地が集中しているなか、普天間飛行場がただ平行移動してくるような案を振興策と引き換えに受け入れていいのか、おかしいのではないか』と意見した」
――基地とリンクした振興策に頼らないと言いますが、具体的な構想はあるのでしょうか。
「かつて名護市は農業の粗生産額が年間90億円を超えていたが、いまは約40億円少ない。この40億円を取り戻せば、自分たちががんばることによって得ることのできる収入源になる。また、名護の特色を生かした体験、交流、滞在型の観光の可能性も追求したい。基地問題に時間を割こうとは思っていない。移設反対を通していくだけで、そこに交渉だとか折衝だとかいうものはない。すぐにでも農業や観光の振興に手をつけたい」朝日新聞2010年2月7日付社会39面14版)