suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

東京裁判から60年

異見新言
東京裁判から60年 「第二の人生」で徹底分析を 各国に散らばる膨大な資料
戸谷由麻(とたにゆま)米ハワイ大助教授(歴史学)

 極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決から11月12日で60年。東条英機ら戦争指導者25人に有罪が言い渡された裁判の今日的意味を、米国を拠点に研究する新進の歴史学者が読み解く。

 72年東京生まれ。カリフォルニア大バークリー校で博士号。05〜06年、ハーバード大ライシャワー日本研究所奨学生。著書に『東京裁判--第二次大戦後の法と正義の追求』。

 東京裁判を人生にたとえると、還暦にあたる。公判をじきじきに傍聴した人々、個々の被告を知り、記憶する弁護団員たち、検察局のメンバーや裁判所を構成・補佐してきた人々も、今では数少ない。

 しかし、国際的には近年、東京裁判は「きわめて今日的意義をもつ画期的な歴史事件」として、関心を集めている。中でも、捕虜・一般市民に対する戦時下の残虐行為、「通例の戦争犯罪」をめぐる指導者責任についての判断は、今日も旧ユーゴ国際戦犯法廷などに引き継がれている。

 国内でも、東京裁判は注目され続けよう。というのは、公開法廷で戦争を記録に残していく努力が図られたのは、規模の上でこれが最初で最後であり、今日まで課題となっている「過去の克服」は、東京裁判に始まったといえるからだ。

 また、被告に弁護の権利が認められ、旧敵国の米国が派遣した弁護士が日本人弁護団と協力して全力で彼らの弁護にあたったこと、各国判事が推定無罪の原則を重んじ、検察当局が立証義務を果たさなかった部分には無罪を言い渡したことなどからは、司法改革をめざした当時の日本人にとって、裁判が「実物教育」という意味を帯びたとみなすこともできよう。

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 裁判の意義をめぐる国内論議は、当初から活発だった。占領期(45〜52年)は、弁護団の一員だった戒能通孝(かいのうみちたか)や、後に最高裁長官となる東大教授の横田喜三郎らを中心に、裁判に一定の功績があったとする論が法曹界で主流をなした。

 特に、対独裁判で示された「侵略戦争が国際犯罪をなす」との法理を踏襲したこと▷戦時下の一般市民や捕虜には、人道的取り扱いを受ける基本的人権がある、との判断を下したこと▷軍隊が戦線各地で恒常的に戦争法規違反をしていると知りつつ、やめさせる効果的な手段を取らなかった国家指導者に刑事責任が生じると確立したこと--などが、高く評価された。

 他方、「戦勝国が敗戦国の指導者を裁く」という片務的な法廷のありかたに対する批判は、初めから上がっていた。この批判は、戦犯裁判を連合国による「復讐行為」とみなす人々の論拠となり、日本が主権回復すると、広まっていった。

 80年代に入ると、従来の二項対立的な「裁判肯定論・否定論」の枠組みにとらわれない評価が試みられた。裁判の新資料が各国公文書館で公開されたのを機に、多くの研究がなされた。今では裁判論が出しつくされた感がある。

 しかし、裁判の全体像が明らかになったかというと、実はまだわかっていないことが多い。たとえば、敗戦直後に日本政府が軍機密文書などを大量焼却し、連合国による戦犯調査を妨げたことが知られるが、焼却を免れたかなりの量の文書が近年発見された。それらが裁判で利用できなかったのはなぜか、利用できたら判決は異なったのか、などの疑問は、これから究明が望まれる。

 裁判研究の最大の難しさは、資料の膨大さにある。基本資料である公判記録(英文)だけでも5万ページ余り。これを包括的に分析した概説書は少ない。まして、法廷で採用された全書証や却下された証拠文書、検察局・弁護団・裁判所の各種内部文書は、計数百万ページを楽々と超える。多くは各国の公文書館に散らばって保存されており、資料にアクセスする難しさはひとしおだ。

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 このように、膨大な資料を抱えた東京裁判は、還暦を迎えたからといって隠遁生活に入ってもらうわけにはいかない。資料の収集・刊行作業、マイクロフィルム・デジタル化も進んでいる。今後も研究者によって訪問され、開拓され、徹底的に分析されていくことが望まれよう。

 東京裁判は、歴史の評価の麺からも、国際人道法の発展の見地からも、「第二の人生」を歩み始めたと言ってもいいのかもしれない。(朝日新聞2008年11月1日付声・主張18面12版opinion)
posted at 10:20:36 on 11/01/08 by suga - Category: Main

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