suga's blog 徒然なるままに
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映画「PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン」

映画「PEACE BED アメリカ VS ジョン・レノン」 ジョンの強さを見た 平和信じる力の大切さ訴える
和田静香

 ジョン・レノンの、平和活動家としての顔をクローズアップして描いたドキュメンタリー映画『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』を見た。


ベトナム戦争が泥沼化したころ

 年長の方ならよくご存知のようにジョンは70年代、妻のオノ・ヨーコと共に音楽やパフォーマンス、発言を通して強く平和を訴えた。時には正にベトナム戦争が泥沼化して行くころ、二人は芸術家らしく突飛でユーモアに溢(あふ)れた、シンプルな方法で平和の大切さを示した。たとえば巨大な復路の中に入って姿が見えなければ、人種や性別などで差別されないとメッセージする「バギズム」、戦争するよりもベッドで過ごそう、「ベッド・ピース、ヘア・ピース」とメッセージした「ベッド・イン」、自費で世界十二都市に掲げた「戦争は終わった」の巨大ポスターなど。ジョンは自の名声を利用してマスコミを集め、そうしたメッセージを発信した。ヨーコが映画中で発言するように、それまでのひ弱でアイデアに乏しく、人目を集めにくい平和活動とは真逆を行く、センセーショナルなものだった。お陰で当時の記者たちはひたすら面食らった様子だが、記者たちは面食らえば食らうほど出に報道するわけで、二人は稀代(きだい)の平和広告マンだったと言える。

 そうした活動から、急進的な平和活動家たちに広告塔として悪用されることもあったし、FBIにジョンが目の敵にされる原因となり、身の危険にまで及び、アメリカ国外退去命令を出されることにもつながってしまった。映画はそこを描き出す。

 それでもジョンはヨーコと共に平和を訴え続けた。なぜなら、彼はそれが実現できると心底信じていたからだと思う。複雑な生い立ち故に他人に刃を向けるような心持ちで生きてきた青年――一九七〇年にジョンはまだ三十才だった――が世界を見て、愛する女性を得て、愛と平和の意味を知る。そして世界もそれを体現出来るのだと信じた。信じる力の強さ、大切さ、それがこの映画が根底で訴える最も大きなメッセージだろう。ジョンは言っていた、「問題なのは信じようとしないこと」と。誰もが身に覚えあるはずだ。

「イマジン」への見方が変わった

 それにしても今日、日本のあちこちで事あるごとに「イマジン」が合唱される。正直私はそれが嫌いだった。あの歌の切実さに対してあまりに能天気じゃないか? と感じることが多かったからだ。しかしこの映画を見て変わった。「イマジン」を一人でも多くの人が歌うことこそ、ジョンとヨーコが望んだ形だったのだろうと。しかし逆にこの映画を見たら、これまで気軽に「イマジン」を歌っていた人達は、そこにこめられた思いの強さを知って、歌うときに襟を正さずに居られないだろうとも思う。それだけに二人の決意は強かった。それをこの映画でまた知ることができた。

 強い信念に支えられ、それをスマートな方法と絶大な実行力で示した、カリスマ的なアーティスト・カップルの軌跡、ジョンのファンでなくても心揺すられる映画だ。しかし残念なことも。一般の方の目には触れないかもしれないが、映画の資料に、エルヴィス・プレスリーとニクソン元大統領が握手する2ショット写真が掲載され、エルヴィス=悪、ジョン=善といった見せ方がされていた。そういうアピール方法こそ体制側の常套(じょうとう)手段で、ジョンが嫌ったやり方だ。伝える側がそれでは、元も子もない。かくも私たちは過ちを犯す。しかしその度にそれを正し、進んでいかなくてはならない。今はもっともっと平和を求めるべき時代なのだから。
                        (わだ・しずか 音楽評論家)
              ♢
 東京・TOHOシネマズ六本木、大阪・TOHOシネマズ梅田ほかで八日から
(しんぶん赤旗2007年12月7日付9面=文化面)
posted at 09:42:08 on 12/07/07 by suga - Category: World

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