suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

時代読みつつ”時流”離れ

追想 加藤周一 1 樋口陽一(法学者)

時代読みつつ”時流”離れ

 ひぐち・よういち 34年生まれ。日本を代表する憲法研究者の一人。東北大や東大教授を歴任。『時代を読む』(小学館)は加藤さんとの対談を収める。

 『1964・文学的考察』から『日本文化における時間と空間』(2007)まで、『日本文学史序説』(1975-80)を始めとする作品群。それらを遠して「加藤周一」を読むことは、私にとって、それが無かったとしたらという想像そのものが不可能なほどの意味を持ってきた。

 対象に対し、必要以上でも以下でもない距離のとり方。日・欧・中と自在に及ぶ引照。例えば「枯淡」「もののあはれ」で日本文学芸術の伝統を語ろうとする俗説を容赦なく切り分けるときの、「論理の万力」(M・ウェーバー)。自身の観点を明示した上での批評(クリティーク)は、世にいう「評論家」の言説とは全く違う硬質の世界に、読者を連れてゆく。

 あるときは小気味よく(「(粋とは)規範に媒介された感情」)。あるときはさりげなく重く(「過去が歴史なのではなく、現在を決定する過去が歴史なのである」)定義づける仕方。そういうすべてが、圧倒的な個性的「知」の体系に組み込まれ、その量と質をさらに大きくしてゆく、その反復。これが「加藤周一」なのだ。

 「自然と歴史の脱神秘化」を自分の仕事として課した文学者にとって、伝統との対面・対決を突き付ける創造が、そのチャレンジの主な舞台となった。その中で、文学史の対象としての「文学」の範囲が大きく変えられた。その刷新の意味するところは、限りなく重い。

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 広げられた「文学」の概念は、社会・経済・政治にかかわる人間の思考にまで射程が及ぶだろう。それは戦後解放に際会した若き加藤周一が「政治的ラディカリズムと文学の古典的概念」の「共存」を掲げたことの、結果だったのではない。そうではなくて、すでにその前提だったことを改めて方法的に明示したものだった、と私は思う。

 「ラディカル」は語源通り「根っこ」であり、何らかの超越的価値基準に従うこと少なく、現世の秩序に服すること多い伝統を「文学」の中に確認する記述は、13世紀仏教の衝撃が近世社会に呑(の)み込まれていった跡を追う。「伝統的現世主義が三〇〇年の平和を利用し、儒教倫理によって巧妙に合理化され、やがて圧倒的に大衆を支配するようになった」(「親鸞」1960)。--この文章は「三〇〇年」を「一九六〇年代以後」、「儒教倫理」を「経済優先」と入れ替えればそのまま、私たちの今を言い当てている。

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 『夕陽妄語』の筆者が「日本国憲法の歴史」が「『伝統』になるかどうか」を「今後の問題」と書いたのは、20年前だった(1988・12)。その間、”戦後レジームからの脱却”を掲げる政治の流れが加速するのにあらがって、「日本でも(政治の)伝統的原則の普遍性について語ることができる」ための人びとの営みに積極的にかかわることをやめなかったのは、「加藤周一」の「文学」にとって、必然のことだったのである。

 『時代を読む』(1997)ことにおいて抜きんで、”時流”から身を離し知の独立を高めることにおいて徹底した加藤さんは、また、「思うに憲法第九条はまもらなければならぬ」と書くと同時に、「そして人生の愉(たの)しみは、可能なかぎり愉しまなければならない……」と付け加えることも忘れない(『高原好日』2004)。そういう加藤さんとの、パリや北京、そして信濃追分での語らいの追憶は、「時代」の暗さを見すえながらも希望を語り対象に働きかけることの意味を、私に教えつづけてくれるだろう。

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 戦後日本を代表する知識人で、80年以降本紙に「山中人間話」(「間」は門構えに月)「夕陽妄語」を書き続けた評論家の加藤周一さんが亡くなって2カ月が過ぎた。21日に東京・有楽町朝日ホールで「お別れの会」が開かれるのを前に、加藤さんが残した膨大な仕事の意味や、その人柄を、ゆかりが深かったり、その作品に影響を受けたりした5人につづってもらう。(朝日新聞2009年2月11日付文化18面13版)
posted at 09:08:35 on 02/12/09 by suga - Category: Philosophy

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