suga's blog 徒然なるままに
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労働者派遣法 事態はなぜ起きたのか

池上彰の新聞ななめ読み

労働者派遣法 事態はなぜ起きたのか

 その時々のニュースを的確に伝えることが新聞の使命ですが、新聞の役割はそれだけではありません。そのニュースが生まれる「因(よ)って来(きた)る所以(ゆえん)」を明らかにすることも大事な仕事です。

 去年暮れに出現した「年越し派遣村」。派遣労働者が仕事を失い、住む場所に困窮する事態は、どうして起きたのか。それを検証したのが、2月14日の本紙朝刊の「公貧社会」の記事でした。

 労働者派遣法は1986年に施行されましたが、このときは、派遣できる業種が限られていました。それが1999年、製造業や建設、医療などを除いて派遣労働を原則自由化する改正案が国会で審議されます。

 野党や労働組合は、「企業に使いやすい派遣社員が際限なく増えていく」と抵抗。これを受けて当時の労働省は、「派遣社員が1年を超えて同じ職場で働きたいと希望すれば、派遣先企業は正社員として雇うよう努めなければならない」という努力義務を盛り込みます。

 この努力目標は果たして有効なのか。「会社がその気にならなければ常用労働者への道は開かれない」と「共産党の寺前巌」が追及すると、「労働省職業安定局長の渡辺信」は「企業が1年を超えて派遣を受け入れることは、まず通常は考えられない」と「受け流した」。「労相の甘利明」は「究極の悲観的見方をすると、先生のおっしゃる見方が世の中にあるんだなと、勉強させていただきました」と「一笑に付した」そうです。

 2001年11月、政府の経済財政諮問会議に招かれた「オリックス会長、宮内義彦」は、「労働の規制緩和が大幅に進んだのは事実。でも進み方が極めて中途半端だ」と「熱弁をふるった」そうです。その結果、2004年になって、派遣期間の上限は1年から3年に延長され、それまで認められていなかった製造業への派遣も解禁されていきます。これについて、2003年5月に国会審議が行われた際、「厚労相の坂口力」は「景気が回復すれば常用雇用を選択する企業が増え、派遣はかなり減るでしょう」と「楽観的だった」。

 派遣労働は3年間と延長されても、派遣労働者から正社員への登用は進みませんでした。製造業の現場には、多数の派遣労働者が働くようになり、景気悪化と共に、大量の失業者が発生しました。

 この記事に登場した財界人や官僚、政治家は、当時の自分の言動をどう総括しているのか。その点についても検証してほしくなりました。(ジャーナリスト)
◆東京本社発行の最終版を基にしています。(朝日新聞2009年3月9日付夕刊9面3版)
posted at 10:05:37 on 03/10/09 by suga - Category: Politics

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