suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

中谷巌氏「転向」の波紋

構造改革の旗手、行き過ぎた市場経済を批判
中谷巌氏「転向」の波紋

 小泉内閣の経済戦略会議議長代理として構造改革の旗振り役だった中谷巌・三菱UFJリサーチ&コンサルティング理事長が市場経済の行き過ぎ批判への「転向」を表明した『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)が、経済学者らの間で賛否両論の波紋を広げている。主張変更は是か非か、責任をどうとるべきか。議論は経済論壇のありかたにまで及んでいる。(藤生京子)



「日本の特異性は資産」「平等に代わる思想を」
中谷氏の主張の変遷

 ■(日本企業が)アメリカ流の個人主義的やり方を安易に妥協して採用していたのでは、日本人の「共同体的」経験は生かされない(中略)。日本社会の特異性は別の視点からみるとたいへん貴重なアセット(資産)である。(『転換する日本企業』、87年)

 ■「内輪社会」からの脱却が必要である。そうしなければ日本企業の真のグローバル化が困難である。(『ジャパン・プロブレムの原点』、90年)

 ■「平等主義」に代わる新たな思想基盤の構築が必要になっている。(中略)やさしい気持ちが全体の活力を奪い、日本経済を失速させている。(『日本経済の歴史的転換』、96年)

 ■グローバル資本主義や市場原理が本質的に個人と個人のつながりや絆を破壊し、社会的価値の破壊をもたらす「悪魔のシステム」である(『資本主義はなぜ自壊したのか』、08年)

「正直「」責任は」賛否両論

 同書は昨年末の発売。部数は経済書では異例の13万部に達し、ベストセラーを更新中だ。アメリカ主導のグローバル資本主義、新自由主義的政策は貧困や格差拡大を生み社会の絆(きずな)を破壊したから、日本の伝統や文化をふまえ、北欧などもモデルに方向転換せよ--。明快な趣旨が、自伝風、社会論風に述べられる。

 「日本人の気質にあった日本にふさわしい経済構造の構築を訴えかけている」と好意的に論評したのは慶大准教授の土居丈朗氏(1月11日付読売新聞)。京大名誉教授の以東光晴氏も、自らの非を認めた「著者は正直である」と皮肉を交えて評価した(2月8日付毎日新聞)。

 しかし東大教授の松原隆一郎氏は「経済情勢が変わるくらいで、立場を簡単に変えるべきではない」と憤る。中谷氏は、これまでも日本的経営をめぐり自説を修正してきた=表。「時流を意識したとしか思えない。彼らの政策で首をつった人もいるかもしれない。倫理的・道義的責任を自覚しているのか」

 経済は水物だけに、主張の変更自体を否定する意見は少数派だ。だが「根本的な一貫性がみえること、変える以上は大きな世界観で、独自の理論を示してほしい」とくぎをさすのは慶大教授の金子勝氏。その点、専門家から得た知識を援用し、欧米の一神教思想との比較論などを持ち出す中谷氏の手法に批判は多い。早大教授の若田部昌澄氏は「経済学者なら、経済学的知見をもって語るべきだ。格差の原因も、経済学的に精査すべきだろう」と話す。

 知識人の作法の点で首をかしげる向きもある。一橋大教授の齋藤誠氏は「命がけのはずの『転向』や宗教的意味がある『懺悔(ざんげ)』という言葉を大げさに使ってほしくない」と沈黙を促す。同志社大教授の橘木俊詔氏も「メディアでの発言をやめるくらいなら気骨を感じるのに、これではオピニオンリーダーが自由をエンジョイしただけ」と厳しい。

「空気に過敏な論壇」

 論壇の停滞が久しい中、経済論壇は、不景気で逆に活況を呈したといわれる。

だが、経済紙で経済論壇の時評を担当している東大教授の松井彰彦氏は、疑問も感じている。一つが論壇と学界が、「水と油」の関係になってきていること。学界の最前線では、中谷氏が単純化するような野放図な市場主義が礼賛されてきたわけではないのに、学者が大学に閉じこもっていることもあって、研究知識の蓄積が論壇に反映されない。その構造こそが問題だという。

 「気になるのは、日本の論壇に、KYならぬ『空気を読みすぎる』傾向があること。例えば今こそ自由の価値とは何かの議論をすべきなのに、構造改革批判のムードに覆われて、やりにくい気配を感じる」という。

 主張の変更が問題にされると、学者がますます発言しなくなる恐れもある。同志社大教授の浜矩子氏は、変えないこと、真理の前に謙虚であることとの間でバランスが不可欠だとし、そのうえで人々の側に立って臆(おく)せず発言するべきだ、と話す。

「人間、成長して意見変える」 中谷氏に聞く

 リーマン・ショック後に刊行されたため、「時流におもねっている」などの批判をいただきました。でも、数年にわたって葛藤(かっとう)し、考え続けてきたことを1年以上かかって書き上げたものです。市場にまかせておけばいいとするナイーブな考え方、アメリカ経済学の合理的なロジックだけで政策決定するのは傲慢(ごうまん)じゃないかと。

 (これまでも主張を変えてきたことの批判について)うーん、人間は成長とともに意見を変えるものなのではないでしょうか。私の場合は、アメリカ経済学にかぶれて政策関与した自分への反省の意味をこめて、「転向」という言葉を使いました。「懺悔」という表現が適切かどうかわかりませんが、編集者が大きく取り上げて、面はゆい。でも言論人として、間違っていたことは率直に発信しておきたかった。

 経済学がとらえきれない不条理も配慮すべきだと言っているわけですから、あいつは経済学者ではなくなった、との批判はあるかもしれない。政治の世界に再び、なんてつもりは毛頭ありません。(朝日新聞2009年3月14日付文化30面13版)
posted at 09:32:53 on 03/14/09 by suga - Category: Politics

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