suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

益川敏英さんが語った戦争体験・憲法

益川敏英さんが語った戦争体験・憲法/九条科学者の会記念講演から
名古屋空襲で自宅に焼夷弾がころころと
戦争しない憲法に立ち国際協力する道模索を

 8日、東京都千代田区の明治大学で開かれた九条科学者の会4周年記念の集いで、ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英・京都産業大学教授が記念講演しました(9日付既報)。講演の要旨を紹介します。

 平和の問題とか原水爆禁止の問題は、私、名古屋大学の出なので、坂田(昌一)先生が熱心にそういう問題に取り組んでおられ、お手伝いしました。見よう見まねで自分の問題としても、ずっと考え続けてきました。

 9条を問題にし何をやりたいか

 名古屋大学に憲法学者がいました。長谷川正安という先生です。ぼくは理学部出なので、たぶん講義に潜り込んで2、3回聞いたんだと思います。先生がおっしゃることは、憲法9条の問題を考えたら、その意味するところは、その条文を読んだだけではどうにでも解釈できる。法律の周辺法が-そのときは安保条約のことをおっしゃった-どういう具合につくられているか、それを見ることによって本体の条文の意味がわかってくる、周辺法までも含めてみれば、言い訳ができないことがはっきりしてくると。ここでは、条文の解釈改憲でここまで来ているのに、まぜ今、憲法9条が問題になるのか、9条があったらできないことをやりたい、そう考えているからに違いない、何をやりたいのか、そういうお話をさせていただきたい。

 両親が家財道具リヤカーに積み

 私のうちは名古屋の鶴舞(つるまい)公園の東端の方にあり、運悪く50メートルぐらいのところに高射砲陣地があった。周辺は焼夷(しょうい)弾の攻撃を受けて燃えました。うちだけ不発弾で燃えませんでした。当時は子どもで怖くもなんともありません。だけど、燃えていたらぼくの生きざまも変わっていただろうなと思い、後になって怖くなった。私の記憶は、家にいて2階から突き抜けて焼夷弾が落ちてきて、ころころ転がった、それから両親が家財道具をリヤカーに積んで、その上にぼくがぽつんと乗っけられている。

 私の経験はそれぐらいのものですが、先輩の沢田昭二さん(名古屋大学名誉教授)がお書きになった文章を読ませていただく機会がありました。彼は広島の出です。ピカドンがあって、お母さんは家の下敷きになって、残がいが燃え始めている。お母さんが、自分は助けられないから、おまえは早く逃げろと。自分は家を離れた。実に乾いた文章。この文章でしか(絶句)…彼には書けなかったんだと思います。私は自分の子どもや孫にあんな思いをさせたくない。

 私は、国家が国家の名前のもとで始める戦争、それは応戦でもいやです。

 もう解釈改憲でできないことを

 プロシアの軍人でクラウゼヴィッツという人がいました。『戦争論』という本を書いて、戦争というのは外交の延長であると。突然、朝起きてみたら戦争が起きていたなんていうことはなくて、前兆がある。その間に戦争をしなくて済むような外交で、問題になっているトラブルに国として努力する方向は必ずあるはずだ。戦争に予兆があるとするならば、その段階で自国の政治を動かすところまで考えて、戦争を回避するような運動というのはあるだろう。

 初めは海外に自衛隊が行くなんてことはとんでもないことだったのが、ここまでならいいだろう、どこまではいいだろうと、今ではソマリアまで出かけようとしている。国際協力が必要なら、経済援助とかで、それにふさわしい組織をつくるべきです。専守防衛といっているものをなぜソマリア沖まで持っていかなきゃいけないんですか。戦争をする道具を持ったもので国際協力はないと思います。

 今の日本で憲法問題を考える時に、条文が不備だから検討しているんだという論調。だけど不備だからじゃない。もうギリギリ解釈改憲でここまできたけれども交戦権は許してません。どれだけ解釈改憲をやってもできないことがあるから変えたい。何をねらっているのかを考えてみれば、それはやはり自由に兵器を使えるような状況にしたいんでしょうね。だけど、それが国際協力の道だとは思えない。

 憲法は、戦争なんか起こさないという、実にりっぱな宣言だと思う。そういう立場でしかやれない国際協力の道を発展させる、他の国のみなさん、日本みたいな生き方がありますよ、ということを広げていく方が国際協力につながるんじゃないかなと思います。(拍手)

戦争と科学者、戦争体験と想像力についての質問に答えて

 戦争の科学と平和の科学の区別はありません。70年代の初め、60階建てくらいの非常に高いビルが建ち始めたころ、テレビのゴーストが問題になった。ある会社が電波を吸収する非常に高性能な塗料を開発し、その塗料が、見えない戦闘機に使われた。その時、開発した科学者に何ができるか。一市民として自分が持っている知識をベースに社会の中でどういう発言がしていけるのか、一番最初に知りうる立場を利用してどういう活動ができるのか、それはやはりその人の良心、市民性、それをベースにした市民運動です。市民としての役割は何ですか、自分の活動時間の10分の1でも割いて、こういう運動をと働きかける中核が恒常的にないと。科学者の果たしうる役割はそういうところじゃないか。
     ◇
 (私の体験は)小さな経験だけれども、焼夷弾が自分のところに落ちて不発弾だった、ただそれだけです。しかし、そのことを通していろいろ想像してみると、たいへん怖い経験だったなと思う。あるかけらを見た時に、そこから全体像をどう想像できるか、それは人間だからできることです。戦争についても、ある鋭い目で見た時に見える予兆があるだけだ。その段階でやはり反応しなくてはいけない。それは最終的にはその人が持っている文化度であり、理性の力であり、そういう人間としての理性的なことだと思います。いったいこれはどういうことなんだと思いをはせるような、そういう想像力だと思いますね。(しんぶん赤旗2009年3月18日付学問文化9面)
posted at 10:41:23 on 03/18/09 by suga - Category: Philosophy

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