suga's blog 徒然なるままに
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井筒和幸 戦争を検証しなおすことが未来への一番の知力

新春インタビュー 「パッチギ」の映画監督 井筒和幸さん
戦争を検証しなおすことが未来への一番の知力

 昨年公開された井筒和幸監督の映画「パッリギ! LOVE&PEACE」は、在日朝鮮人の戦争体験を描き、反戦平和と家族愛への強い思いをうたい、大きな話題をよびました。独自の批評精神と鋭い眼差により、さまざまな分野で活躍する井筒監督に話を聞きました。

【井筒和幸(いづつ・かずゆき)氏プロフィール】
 1952年奈良県生まれ。1975年高校時代の仲間と映画制作グループ「新映倶楽部」を設立。以後、独自の作風で映画制作を続け、ブルーリボン賞を受賞するなど高い評価を受ける。代表作に「ガキ帝国」「岸和田少年愚連隊」「のど自慢」「ゲロッパ!」「パッチギ!」「パッチギ! LOVE&PEACE」など。テレビ・ラジオでコメンテーターとしても活躍中。

 --「パッチギ」の2作品とも、60、70年代に生きた在日朝鮮人を描いているが、現代日本において、なぜこの問題をとりあげ、なにを訴えようとしたのでしょうか。

 2007年の5月に封切った映画「パッチギ! LOVE&PEACE」の反響も凄かったですが、もう一方では、案の定という感じだったんです。

 ネットを通じてのバッシングがひどかった。いわゆるネット右翼です。許しがたい誹謗・中傷がたくさんありました。若いヤツなのか年いったヤツらがやっているのかわからんけど、しらみつぶしに調べたいくらいでした。

 2005年に封切られた「パッチギ!」もそうですが、この2作品では、在日朝鮮人の人々を描きました。時代は、1960年代後半から1975年まで、そんな時代の映画にもかかわらず、未だに「しらみ」がわいて付いてくる。

 でも、ここに映画をつくった意味があると思っているんですよ。つまり、60年代、70年代の在日への差別や人権無視が今でもなくなったわけではない。昔はネットがなかっただけ。いまは匿名性のネットを通じて「しらみ」の声が聞こえてきたということです。

 いまの方がむしろひどいかもしれない。日本と朝鮮半島をめぐる歴史をまったく知らないという若者が多い。在日朝鮮人は江戸時代からいると思っていて、映画を観てびっくりしたという東京の若者たちもいたくらいです。

 教育の体制や中身が、ぼくらの青春時代だった60年代末からどんどん偏っていった。偏差値教育の中で、アジアの近現代史、とりわけ侵略史は教えなくなった。その点では、映画を通じて啓蒙する意味もあったのかと思っています。

ドラマチックな映画を

 --いまの日本の映画界をどうみて、監督自身そのなかでなにをしようと考えていますか。自作品の評価に付いても。

 いまの日本映画界には、しみじみした物語をつくれる力がなくなっていますね。子どもの文化になってしまった。これは映画業者、その中心はメジャー配給会社ですが、子ども相手の商売ばかりやるようになった結果だと思います。

 政治家を描くなら、どんなすばらしい手を使って防衛産業と癒着してきたか。警察官なら、どんな汚職に手を染め、やくざと癒着して人生が破滅していくのか。そんなルポルタージュなどを元にドラマチックな映画をつくった方がずっとおもしろい。

生きて帰った人たちがいたからこその平和

 --映画のなかで、ヒロインの在日の女性が芸能界にすすみ、出演した日本の戦争映画の試写会でのべた言葉のなかに、監督の戦争観が出ていると観ましたが。

 「LOVE&PEACE」では、ヒロインの在日女性が芸能界で成功し、戦争を描いた映画に出演、その舞台あいさつで「私には、お国のために死ぬという考え方がわからなかった。私の父も召集されたが、南の島に逃げて、最後まで逃げぬいて帰ってきた。だからいま、私がここにいる」と語ります。

 この映画では、あの戦争とはなんだったのか、若い人たちに一度、真剣に考えてもらいたかったんです。特攻に行って死んでいくことを美化するような映画や戦艦大和は勇ましかったとか。そんな美談にしてしまったら、特攻に行った人たちが化けて出るんじゃないか。実際、特攻にも行かず、逃げ通したという人も多いんです。そんな人たちがいるからこそいまがある。死んだ人たちがいたから、平和があるのではなく、生きて帰ってきた人たちがいたからいまの日本があるんです。

 なんでそんな簡単なことをすりかえてしまうのか。いま戦争一世が次々に亡くなっています。戦争についての証言を語る人が少なくなってきた。だからこそ、ぼくらは映像を通じて戦争の検証をしなければならないと思っているんです。

知力をつけて思いやりをもってほしい

 --困難のなかでがんばっている若者へのメッセージをいただければ。

 いまの若い人たちには、もっと思いやりやふくよかな情感を身につけてもらいたいですね。そのためにはなによりも知力こそ必要です。

 社会にでてからも勉強しなければならないことはたくさんある。歴史をはじめ、あらゆる知識を吸収することに力を傾ける必要があります。例えば、沖縄の集団自決で日本軍の強制はなかったと教科書が書き換えられたら、高校時代に自分が使っていた教科書を開いてみる。ぼくはいまだに歴史の参考書を、改訂されるたびに買ったりし続けています。それを読み直し読み比べていると秋の夜長があっという間につぶれます。ぼくらもやっているんだから、若者はもっとやるべきだと思いますね。

 知識を積み重ねていくことがやがて知力になります。知力とは知識をどう使うかということ。それは人間の豊かな情感に結びついていくはず。でも暴力にしか興味がない若者がいかに多いことか。

いまだに地域の上映が続く

 --「右回り」の社会になっているなかで、「パッチギ」への手ごたえはどうですか。

 バッシングはあったが、観てくれた人たちの共感はすばらしいものがあった。若い人にもしっかりした人たちが多くいて、歴史をちゃんと学ばなければならないと思ったという人もいました。そうした感動がダイレクトに伝わってきてうれしかった。「パッチギ」の劇場上映は、昨年の6月に終わったが、いまだに地方で上映会が続き、講演によばれ、他のことができない時期もありますよ。

生きているのが趣味

 --今年の抱負、次回作の予定は。

 2008年は、まだ何をやろうか悩みながら空想、妄想しているところです。おもしろくて革命的な映画をつくっていきたい。悩んでいる時が一番愉しい。ぼくは、生きているのが趣味みたいなもので、朝起きたら趣味が始まるんです。

 そんなふうに楽しみながら、3月ごろから長編映画に取り組もうと思っています。
                (東京民報2008年2月25日=月=第1542号)
posted at 17:42:32 on 04/17/08 by suga - Category: Main

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