suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

希望ある世界へ立つ時

09新春インタビュー

作家 辻井喬さん

希望ある世界へ立つ時

 つじい・たかし 本名・堤清二。1927年、東京生まれ。東京大学経済学部卒業。元セゾングループ代表。現在、セゾン文化財団理事長。マスコミ九条の会呼びかけ人。詩集『異邦人』(室生犀星詩人賞)、小説『虹の岬』(谷崎潤一郎賞)『父の肖像』(野間文芸賞)、近著に『憲法に生かす思想の言葉』。

 私は日本は今、恐慌というトンネルの中に入っていると思っています。これは思いのほか長いトンネルで、根本にあるのは産業社会の行き詰まりです。これまでの産業社会のあり方が終末を迎えているということです。経済の構造そのものを認識しなおさなければならない時期に来ていると、私は思います。

 このトンネルを抜けたときに、どんな世界が広がっているのか。自戒を含めて言うのですが、私たち一人ひとりが、その世界を希望あるものにするために立ち上がるときではないでしょうか。

□○……○□

 トンネルを抜けた後に広がる世界は、もはやアメリカという超大国一国が世界の指導者としてわが物顔にふるまう世界ではありません。世界は一極から多極化の時代になるでしょう。

 では日本はどこにいるのか。とにかくアメリカの言うことを聞いていればいいという姿勢は、基本的な間違いになります。どの国とも友好な関係を持ち続けていくことが、日本のあり方として要求される。これは政策やイデオロギーではなく、経済の現実として要求されることです。そうすると、今、権力を持っている政党や勢力の対応の仕方は、根本的に変わらなければ行けない。

 経営陣も真剣に考えなければならない問題です。恐慌に際して労働者の首切りで対応できると思っているのは、非常に浅薄な認識だと思います。いっとき損益のバランスがよくなったように見えても、翌年になったら生産性は落ちるし、営業は下がるし、社員はだれも企業を信用しなくなる。

 「その後はどうするんだ?」と知り合いの経営陣に聞くと、「とにかく1年を乗り切らなきゃいけないんだ。その後は、おれはもう辞めるから」なんて言います。そういう態度が今の強硬を呼んでいるんじゃないですか。市場経済は、常におのれに対する批判意識を持っていなければいけないんです。経営者もモラルと良識を持ち、変わっていかなければ、将来はありません。

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 先日もある新聞から「世界はどうなるのか」というテーマで取材を受けたのですが、記者が「あなたは珍しいことに共産主義というものに今でも正当性を認めていますね」と言うんです。

 私は「それを珍しいと言うのが、おかしいんです」と話しました。「スターリンがやった中央司令経済という独裁的経済体制は失敗しましたが、それをすなわち共産主義のだめさ加減だと思うのは科学ではありませんよ」という話をしてね。

黙っていては変わらない

 『資本論』には、「本来、人間の個性的な生活過程であるべき消費は、市場制生産様式のなかにあっては労働力の再生産過程としてとらえられ…」というくだりがあります。本来、一人ひとりの人間が自分の心の命じる選択によって消費生活を送るべきなのに、その人間性を踏みにじって、大量消費をつくり出すというマーケティングの考え方はおかしいと、マルクスは早くも批判していたわけです。

 今こそ、この批判の正当性が光っています。1970年代半ばごろまでは、人々はできるだけ便利に、できるだけ物質的にリッチな生活が幸せだと思っていた。それから三十数年たって、物品購入と消費に駆り立てられた結果、日本人は果たして幸せになったのかという疑問が生まれてきていると思います。

 では幸せとは何か、どうつくっていくのか。それは一つには、私たちの希望である主権在民と平和思想を幅広い人々と共有しながら、つながっていく過程に幸せがあるのではないかと思います。

 私が考えているのは、敵も味方にしていくということです。そのためには相手の心に届く言葉を私たちが持つことが必要です。でも本当の敵は少数と考えていい。市場経済原理主義者、自由競争至上主義者なんかは敵でしょう。でもそういう人は、例えば経済同友会の中でも何人もいない。私のところに相談に来る若い経営者などは、どうしていいかわからずに途方に暮れています。敵を味方にすることは、人間の美しい力です。

 そして、日本には憲法九条がある。「武力による威嚇又は武力の行使を永久に放棄する」という世界で唯一の国です。だからこそ国際社会で、諸国間の平和創出に協力できるということを訴えていかなければならないんです。敗戦によって手にした平和憲法を縦横に使わなきゃいけない。

 戦争はね、人間をだめにしますよ。最も反人間的な行動です。

 戦時中、高校生だった私は、帝都防衛隊という組織に編入され、消防署の補充要員として働いていました。九州が頻繁になり、焼け野原に死体が転がっていても、あまり驚かないようになっていました。人間の感覚は異常な状態にも慣れていくという恐ろしい面を持っています。戦場での残虐行為も、この異常に慣れてしまった上で起こるのでしょう。その意味では人間は弱い存在です。だからこそ、戦争はどこまでも反対されなければならない。

 そんな毎日の中で私は、竹製の針をカッターでとがらせて、たった1枚残っていたレコードでブラームスの交響曲4番を聞いていました。

 人間であり続けるためには、人を殺す道具を用意してはいけないのです。

 トンネルを抜けた後の新しい世界をつくるのは私たちです。世界は、黙っていて変わるものじゃない。今度の選挙は大きなチャンスでしょう。日本と世界の将来のために、どんな政党、どんな人に投票したらいいのか、個々の私的な感情ではなく、全体のレベルでしっかり考えて選択してほしいと思います。

 聞き手 平川由美/写真 林行博(しんぶん赤旗2009年1月11日付1、3面B版)
posted at 09:45:06 on 01/12/09 by suga - Category: Philosophy

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