suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

評伝的に人を見るという力

定義集 大江健三郎
評伝的に人を見るという力 【新しく批評を書き始める人に】

 私が若い時から現在にいたるまで文学を軸にして本を読み続けつつ、最も教えられたのは、「評伝」によってです。詩でも小説でもなく、というのが不思議かも知れませんが、人間は個人の魂において、社会・世界とのつながりにおいて、どのように生きてゆくものか、詩人について、作家について、またもっと広い域の思想家について、私は本当に大切な発見を導いてくれたのは、評伝でした。

 とくに詩人と思想家の評伝。評伝という言葉は、たいていの辞書で「批評をまじえた伝記」とそっけなく説明されます。私はそれを見るたび critical biography の直訳として作られた言葉じゃないかと感じます。

 詩人や思想家への、直接かつ最終の道が、その詩集、しばしば古典になっているその著作にあることも、経験によって知っています。私が最初に、ある詩人、ある思想家にめぐり会ったのも、それをつうじてでした。

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 しかし、とくに外国語の詩と、こちらは翻訳で読む古典が、若い私には、鋭く引きつけられながら、同時に、難しく、退屈ですらあるテキストなのでした。

 詩人としても思想家としても偉大なウイリアム・ブレイクに偶然のように出会ったのは十九歳の時でしたが、私がやっとその人間を確かめたと思ったのは、もう三十代半ばで、広く知られているノースロップ・フライの評伝を読んだことからです。それから、ブレイクの全詩集が親しいものになりました。その後も、ブレイクの社会的な側面については、ディヴィッド・V・アードマンの『ブレイク--帝国に逆らう予言者』、神秘的な側面については、キャスリーン・レインの『ブレイクと伝統』を机の両側に置いて、真ん前に開いた全詩集を読みました。ブレイクの絵について理解できるようになったと思うのも、この二人の学者に教えられてのことです。

 すべての評伝が、というのではありませんが、ひとりの詩人に関する評伝を集めて読むうち、本能のようなものが働いて、自分の師匠といいたい「読み手」をかぎつけます。その読み手が、感動して表現しないではいられなくなったものを、研究も重ねた上で書く。その評伝から、読み手が受けとめた詩人の、人間としての全体像が伝わってくる。詩人と評伝作者、二人の師匠に一度に出会う、ということが起こります。

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 いま純文学が(長い目で見れば、文学とは純文学のほかにないと私は信じますが)読者を失っている、というのはこの国の文化的常識です。私が新しい批評家に期待するのは、より広い場所で(つまり私ら旧世代の、純文学への頭の固い信条などは相対化する若わかしい自由さで)文学と読者との関係を再建してくれることです。

 ほとんどつねに、個人的なきっかけで自分としての「文学」に出会った読み手が、その詩人、作家、思想家を読み続ければ、かれは「読む人」になったのであり、さらに考える人、そして受けとめたものを自分で表現する人になります。そうやって小説を書き始める人もいますが、私はまず自分の発見した本についてノートを書く青年でした。

 むしろ一般的には、新しい小説家の誕生より、新しい批評家の誕生が自然です。そしてかれは職業としての批評家にならなくても、「読む人」であり続けるでしょうし、文学あるいは文化についての確かな能力を、やがて自覚することがあるはずです。(この能力は、考える力、書く力として蓄えられ成熟します。)

 しかし、数は少なくても批評家として生きる決意をする若い人がいれば、私はかれに(準備期間を持って)評伝を書くことから始めるのを期待します。かれを読む人・考える人・表現する人とした対象について!

 それをあらためて一般的に開くなら、私は「評伝的な人の見方」という能力を開発することの意味を思います。評伝はその描き出す人物の生涯をとらえながら、かれの生きた現実の日々での流儀、端的にはかれの発した言葉を魅力的に伝えます。それがいかに深まり、統合されて、当の人間を作りあげているか?

 若い人たちが、いま社会的存在(ソーシャルフィギュア)としてときめく人物らについて、あと十数年後にその評伝を書くつもりで、現在のかれらの流儀・言葉をとらえなおしてみる。そのような人の見方を身につけることをすすめます。

 今年の出版物のなかで、私が最も熱中して読み、様ざまに考え、文章を書きすらもしたのは、若い批評家安藤礼二の『光の曼荼羅(まんだら)』という折口信夫評伝でした(講談社)。大詩人・思想家の宇宙観の構造を、同時代西欧の新潮流に結ぶ力業ですが、『死者の書』の周到な読み込みが旧世代をも説得します。(作家)(朝日新聞2008年12月16日付文化21面12版)
posted at 09:59:54 on 12/16/08 by suga - Category: Philosophy

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コメント

crimson bed wrote:

フライの『A Fearful Synmetry』は評伝ではなくて研究書と思いますが? 
12/17/08 00:05:53

suga wrote:

>crimson bedさん

 「A Fearful Symmetry」でしょうか?
12/22/08 09:39:00

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