suga's blog 徒然なるままに
とりとめのないことを、徒然なるままに、書き留めておこうかと思います。

加藤周一さんしのぶ

 古今東西の文化芸術を論じ、世界の中の日本の針路に発言を続けて昨年12月亡くなった評論家、加藤周一さん(享年89)の「お別れの会」が21日午後、東京都千代田区の有楽町朝日ホールで開かれた。=文化面に関係記事

 文化・学術関係者だけでなく、一般を含め約千人が献花に訪れ、長年の言論活動への共感の広がりを印象づけた。

 弔辞で、作家の大江健三郎さんは、若い人たちに助言を与えた加藤さんの思い出を語り、同じく作家の水村美苗さんは、大衆迎合せず知識人の役割を果たした姿勢をたたえた。また音楽評論家の吉田秀和さんは、複合的な事象の本質を言い当て、かつユーモラスでもあった加藤さんの評論の魅力を述べた。(朝日新聞2009年2月22日付社会33面13版)



加藤周一さん 送ることば 「お別れの会」

 21日に開かれた評論家・加藤周一さんの「お別れの会」。政治、社会から文化、芸術まで、深く広く論じた加藤さんの仕事や人柄をしのび、ゆかりの人びとによって弔辞が述べられた。弔辞のあらましを紹介する。



若い天才へ愛情注ぐ 作家・大江健三郎さん

 私は、尊敬する学者が亡くなるたびに全著作を読み直してきました。加藤さんが亡くなられて『日本文学史序説』から読み直し始めました。広範で一貫した把握は、比類のない日本文化史だと思います。それに、女性的なものへの尊敬とユーモラスなものへの敏感さは、新しい読者を引きつけ続けるでしょう。

 加藤さんが、若い天才たちに愛情を込めて書いた文章を示したいと思います。森鴎外がエドムント・ナウマンの日本批判に対して書いた文章を、加藤さんは高く評価されています。「鴎外は、相手を完全に理解すると同時に、自己の弱点を見抜いたにちがいない」。相手を完全に理解せよ、同時に自分の弱点を見抜け。これよりもよい、若い人への助言はないでしょう。



人に与え続けた潔さ 作家・水村美苗さん

 生身の加藤さんがいかに上等な人間だったかを知っていただきたいと思います。お目にかかればかかるほど、敬愛の念が増す不思議な方だった。そこだけがろうそくに照らされ、シャンパンが抜かれるような、生きていることが祝祭であるという時間が流れ始めるのです。

 それは加藤さんのず抜けた知性のせいですが、ご自分からは何一つ相手には求めないという決意が人格の芯にあり、与え続けたのです。その潔さが、加藤さんと一緒にいる時間をかくも至上のものにしたのだと思います。加藤さんがそのような方であったこと、日本に絶望しそうになっても、ああ、この日本を愛する加藤さんがいると思う、そのような方であったことを、知っていただきたく存じました。



世界連邦の外務大臣 音楽評論家・吉田秀和さん

 複合的な出来事を、単純明快な言葉で要約する能力。それを洗練させていったようにみえることが、外国の新聞や大学から信頼を置かれただけでなく、『日本文学史序説』のような仕事にも表れたと思います。

 あまりにいろんな世界の話題を解説するので、ぼくは「あなたは世界連邦政府の外務大臣だね」と冗談を言ったことがある。共通性を連想させたのは仏の思想家ボルテール。時代を洞察し、判断をし、ユーモアを忘れない。加藤さんは、アイロニカルで反語的な言い回しの名人だった。

 神経をさかなでされた人もいただろうが、細部の味わいに敏感だった。人情家でもあった。そこが、あのいきいきとした表現につながったのでしょう。



反戦貫く心棒感じた 哲学者・鶴見俊輔さん

 会うたび話すたびに、心棒を感じました。軍国日本に不服従だった人の心棒であり、日本の知識人にまれにしか感じないものでした。過去・現在・未来のどんな戦争に対して話すときも、感じるものでした。

 医学を学んだ加藤さんは、原爆を落とされた広島を診て、国家と結びついた科学が何をなすかを目の当たりにしました。さらにプラハの春では、戦争勢力が、国家全体主義の中から芽生えてくることを、しっかりと見据えました。そのとき育ったのが「九条の会」の構想でした。

 会の発起人会で、加藤さんは「多数派にならないかもしれない。そういうときも、旗をおろすことはない」と言いました。勝ち負けをこえた見方が心に残りました。(欠席のため代読)       (朝日新聞2009年2月22日付文化32面13版)



加藤周一さんお別れの会 1000人集う 志位委員長が参列

 昨年12月5日に亡くなった加藤周一さん(評論家、「九条の会」呼びかけ人)の「お別れの会」が21日、東京・有楽町朝日ホールで行われました。喪主は妻の矢島翠さん。国内外から約千人が集いました。

 弔辞を作家の大江健三郎さん、作家の水村美苗さん、音楽評論家の吉田秀和さん、哲学者の鶴見俊輔さん(体調不良で欠席のため代読)が述べ、著作『日本文学史序説』をはじめ「知の巨人」と呼ばれた加藤さんの業績と、自分では何も求めず、周囲に与え続けたという愛情深い人柄をしのびました。

 同じく「九条の会」呼びかけ人である鶴見さんは、「少年のころから軍国日本に不服従だった加藤さんは生涯、戦争反対という心棒を持ち、『九条の会』の構想もそこから生まれた」と回想しました。

 親交のあったドイツ、フランス、イギリス、中国の学者からのメッセージも紹介されました。

 「お別れの会」には日本共産党の志位和夫委員長、奥原紀晴・赤旗編集局長が参列し、献花しました。(しんぶん赤旗2009年2月22日付社会・総合14面B版)
posted at 08:53:51 on 02/22/09 by suga - Category: Main

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